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巻 頭 言


山見知り
 「そんな言葉知りません」と皆さんおっしゃることと思う。今、ぼくが造ったばかりの言葉だから知らなくて当然、辞書にも載っていない。「人見知り」の山版とお考え頂きたい。
 
 「人見知り」を辞書で引くと、「子どもが見れない人を見てきらう(はにかむ)こと」とある。その伝で説明すれば、「山見知り」とは、「山の初心者が名も知らない山に誘われても興味を持てず登る気にならないこと」ということになる。「山見知り」する人が増えているなという実感があり、山見知りしていてはもったいないよ、ということを書こうと思っているわけなのだ。
 
 シプトンがカラコラムを紹介した『地図の空白部』は名著として知られている。かつて価値の最たるものは空白部、即ち未知であるから誰からも評価されていない、未知にタッチし、評価するのは自分なのだ、こんなに面白いことが他にあるだろうか。

 それなのにいまでは未知に価値を見い出そうという人が希少になっている。価値はブランドの有名度合に比例している。それはそれで間違ってはいない。日本百名山は魅力的な山、登って損のない山々である。しかし、知名度の高い山ばかりのぼっていると、その山の真の魅力が見えてこなくなるのではないかと心配してしまう。

 この夏、南アルプス光岳に登ったときのこと。小屋前で夕食を囲むひととき、他のパーティーの輪から、「日本百名山だから光岳に登りに来たんだけど、この山のどこが名山なの、うちの裏山と変んないよ」という声が聞こえてきた。その人は名山をどのように考えているのだろうか。光岳の位置ひとつ考えても、日本百名山たりえているとぼくは評価するのだけれど・・・・・。

 話を「山見知り」に戻そう。

 知らないから登らない、ということはもったいないと前途した。この夏、スロベニアのユリアンアルプスの山小屋泊ハイキングを楽しんできた。遠足倶楽部周辺では知られるようになったスロベニアだが、中高年登山界全体では知る人が少ない。従って訪れる人が少ない。同じヨーロッパでもスイスは、ホテルも登山電車もハイキングコースも、日本人ばかりなのにスロベニアではホテルもハイキングコースも日本人はぼくたちだけであった。海外に遊びに来た甲斐があったというものである。

 おそらく、3〜4年後にはスロベニアもスイスみたいにブランド価値が上がって日本だらけになるのではないかと予想される、そうなってからでは手遅れじゃありませんか。未知に対する価値が低くなってタッチしようとする人が少なくなっているいまこそ、知らないことに手を出すチャンス、知らない山に登りに出ていくチャンスである。「山見知り」なんてしている場合じゃない。知らない山名にぶつかったら、すぐ山名辞典でチェックすること。登山人生が百倍楽しくなる。

                           (平成18年9月15日 山の遠足連絡帳 第165号 掲載)