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08年、また新しい年が始まった。ぼくにとっては63回目になる年だ。元日は長野市内で桂聡子さんのフルートと宮本千津さんのピアノとのジョイントコンサートを聞き、戸隠高原に上がって越水ロッジに泊まった。2日、レンタルスキーで久々のスキーを楽しむ。リフト券を買おうと売場の窓口をのぞいたら、いきなり「シニアの方は2,800円です」といわれた。こちらの年齢を確認することもなく、一目でシニアと判断されてしまったという状況に、少なからぬショックを受けた。まっ、いいか。
わが家に戻って、頂いた賀状を一枚一枚眺めていった。トシのせいか、なつかしい想いにかられる場面が年々増えていくような気がする。
「自分でも信じられないのですが、今年は八十歳になります」と書かれた一枚があった。サンシャインシティー文化センターで「中高年と女性のための山歩き講座」を開講した。その一期生のAさんだ。
開講は83年11月、25年も前のことになる。ぼくは38歳で、受講生のほとんどは50歳台前半の女性、Aさんも55歳でしかなかったのだ。しかし、38歳のぼくから見れば、おばさんばっかりという印象だった。
ともあれ、講座はスタートした。実技は事故があってはいけないからと、文化センターではなく、ぼくの責任で企画・実施した。当時流行っていたJTBの「るるぶ」を真似て、「山のるるぶ」と名付けた。
JTBの方は、「見る・食べる・遊ぶ」の省略形とか聞いていたが、こちらは「登る・攀じる・学ぶ」の省略形と説明して悦に入っていた。岩崎の名が知られるようになり、JTBのマネっこではうまくないと考え、「中高年と女性のための山の遠足」=「遠足倶楽部」というネーミングを思いついた。
沢を登ったり、冬山で深い雪をかき分けたりしていたから、登山することにはなんの不安もなかったが、中高年の方々のために、どんな山やコースが楽しんでもらえるのか、皆目見当がつかなかった。石橋をたたきながら渡るように、山行内容は少しづつグレードアップしていった。
初めてのスノーハイキングは、北横岳ですら危なそうに思い、計画したのは奥蓼科の八方台であった。八方台から北横岳へ、それから天狗岳へ、硫黄岳へ、赤岳へ、仙丈岳へ、甲斐駒へ、そしてとうとうモンブランの頂に立つまでに遠足倶楽部は成長したのであった。百名山完登者は相当人数いるし、三百名山だって、何人もいらっしゃる。しかし、そんな方たちも高齢化、「のんびり高尾山でも歩きます」なんていうお便りが届く、昨今である。
中島みゆきの『時代』という歌が、どこからともなく聞こえてくる。春が去り、夏が訪れ、夏が過ぎ、秋がやって来る、その秋が静かに退場すると、気がつけば冬。時代はめぐるのだ。とはいえ、登りたい山はまだたくさんある。登れなくなる時がくるまで登り続けていこう。
(平成209年1月5日 山の遠足連絡帳 第181号 掲載)
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