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巻 頭 言


ちょっといい話

 3月15日付東京新聞朝刊の「この人」の欄に、「ガラス瓶の破片『ビーチグラス』を地域通貨にする活動に取り組む『堀直也さん』」が紹介されていた。

 「ビーチグラス」というのは、海岸の砂や砂利にもまれ、角が取れて丸みを帯びた、酒やビール瓶の破片のことだそうだ。

 海のそばで育った彼は、十八歳のときにサーフィンに出会い、すぐのめり込んだ。

 「遊び場である海をきれいにする義務がサーファーにはある」と考えて、二十四歳の春から一年間、毎朝一人で海岸のゴミを拾ったという。しかし一人では限界があると思った。子供でも楽しく遊びながら海をきれいにできる方法として考えたのが、ゴミを拾うついでにビーチグラスを集め、通貨にすること。すばらしいアイディアだと思う。湘南地域の店舗を一軒一軒訪ね歩き、協力を依頼、現在では六十の店舗で使えるようになっている。

 「とにかく海に来て、海の環境に興味を持って欲しい」、ビーチグラスはそのための第一歩だ、と堀さんはいう。

 山の世界でもまったく同じことだと思う。「遊び場である山をきれいにする義務が登山者にはある」。山はひと昔前に比べるとゴミは非常に少なくなっていると思うが、今、問題が顕在化しているのはトイレだ。ゴミは出さずに済まそうと思えば、出さずに済ませるはずだが、生理現象の方は出さずに済ませるわけにはいかない。

 「テイクイン、テイクアウト」という言葉に示されるように、持って帰るのが原則であるとは思うのだが、「大」が入ってズシリと重い携帯トイレをザックに収めて背負って帰るということを、登山者一人一人が当たり前のこととして実行するようになるにはまだまだ時間がかかると思っている。そんなことを講習会で話したら、終了後、一人の女性から、ザックの外に収納する袋も販売されてますと、持ち帰れなくても仕方ないじゃないか的、岩崎発言は非難されてしまった。

 そういう正論の押し付けが、問題の解決を遠ざけているということを、原理主義の方々は、気がつかないように思えるんだけどな。問題解決は地道な努力しかないよなと思っている自分に、ビーチグラスの堀さんの活動は、わが意を得たりの思いであった。

 堀さんが目指すのは、かっこいいサーファーであるという。海を守り、海を大切にするサーファーだ。言葉を山に置き換えてみたい。

 かっこいい登山者を目指してほしい。山を守り、山を大切にする登山者だ。一人一人がかっこいい登山者を目指すなら、近い将来、大の持ち帰りも当たり前のことになっているんじゃないかと思うのだ。

 「遊ばせてもらっている海だから恩返しをしたい」という堀さん。将来の夢はバーを開くこと。山のてっぺんから、ガンバってねと、エールを送ろう。


                        (平成20年3月20日 山の遠足連絡帳 第183号 掲載)